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親鸞聖人の悪人正機説


 親鸞聖人の言葉をまとめた「歎異抄」は、悪人正機説を説いたものと言われています。その第3条にまさに、その言葉があります。


   善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。


 この言葉に続いて、親鸞聖人の解説が記されています。現代語に直すと、次のような意味になります。

 世間の人は常に「悪人でも往生できる。それなら善人ならなおさら往生できるはずだ。」という。この言い分は、正しいようにみえるけれども、本願他力の考え方にはそぐわない。
 なぜかと言うと、自力を頼んで善行を積んで往生できる人は、他力を頼むこころが欠けているので、阿弥陀如来の本願ではない。しかし、自力のこころをひるがえして、他力を頼むようになると、ほんとうの浄土に往生できる。
 煩悩具足の私たちは、どのような行をしても生死の苦しみから逃れられないのを憐れんで、阿弥陀如来が第18願を起こされた本意は、自力で成仏できない悪人が成仏するためなので、他力を頼むことしかできない悪人を往生させることこそが最大の目的なのだ。
 よって、善人でも往生できるのだから、まして悪人はなおさらだと、おっしゃいました。


 弘法大師空海のように、ほんとうに力のある人は、自力で救済されます。まさに、善人でも救われることがあるということです。
 阿弥陀様の願は、自力で救われない凡愚の私たちを救ってやろうというものです。歎異抄では、このように自力で救われない人を悪人と言っています。このような悪人は、自力では救済されることはありません。そのような悪人こそ救ってやるのが、阿弥陀如来の本願であるというのが、悪人正機説の意味なのです。



むすび


 浄土真宗シリーズの最後に、成功法則としての浄土真宗の教えの結論として、次のように言いたいと思います。

 事業であれ、家内安全であれ、健康であれ、どのようなことでも、他力によって救われることを心の底から信じ、つねに願えば、必ず救われます。これが、阿弥陀如来の第18願であり本願です。

 願いが叶う内容は、どのようなことでもかまいません。心の底から願い、そして必要なことは、その願いを願い続けることです。そうすれば、必ずその願いは叶います。

 般若心経の「色即是空」は、思いは実現することを言った言葉ですが、浄土真宗でいう本願も、まったく同じことを言っているのです。
 同じ仏教だから、同じになるのかどうかは分かりません。しかし、仏教のことは知らなかったであろう、ジェイムズ・アレンも、ナポレオン・ヒルも、ジョセフ・マーフィーも、そしてデール・カーネギーも、そのほかの人たちも、成功しが人たちは、すべて思いが叶うと言っています。
 願いがあれば、こころの底からそれを願い、その願いを思い続けることです。そうすれば、必ず、その思いは実現します。

 そんなことができるのは、特別な人だけだと考える人が多いと思います。でも、私でも、不動産を持ちたいと思い続けた結果、大阪市内の天王寺区で100坪の土地が手に入り、10階建てのビルを建てることができたのです。私のような凡愚の者でもできたのです。それが何よりの証拠だと思います。

 願い事を、常にこころの中で思い続けてください。そうすれば、必ずその願いは叶います。


浄土真宗(了)