願いごとに善いも悪いもない。
般若心経や浄土真宗の教えで、どのような願いも叶うと私は考えています。よく質問されるのは、お金を儲けたいなどの欲に絡むものは、叶わないのではないかということです。
私は、人間の欲望であれば、どのような願いも叶うと考えています。
ただし、仏教でいう五戒(浄土真宗で述べた五逆とはちがいます。)に抵触するような欲望は、一旦は願いが叶うとしても、それを長く続けるということはできないと考えるべきだと思います。
五戒について、Wikipediaで調べると、在家の信者が守るべき基本的な戒めとして、次のような内容が記載されています。
①不殺生戒(ふせっしょうかい) 生き物を殺してはいけない。
②不偸盗戒(ふちゅうとうかい) 他人のものを盗んではいけない。
③不邪淫戒(ふじゃいんかい) 不道徳な性行為を行ってはならない。これは、特に強姦や
不倫を指すが、他にも性行為に溺れるなどの行為も含む。
④不妄語戒(ふもうごかい) 嘘をついてはいけない。
⑤不飲酒戒(ふおんじゅかい) 酒を飲んではいけない。
5番目の不飲酒戒は、私にとっては、特に厳しいものがありますが、このような戒めはできるだけ守るとして、それ以外の欲望は、常に願い続ければすべて叶うと考えていいと思います。
その内容が、般若理趣経という高野山の真言密教のお経に書かれています。
般若理趣経というのは、正式には「大楽金剛不空眞實三摩耶經 般若波羅蜜多理趣品」という名称です。般若理趣経の正式名称に含まれている「不空」というのは、不空三蔵(705~774)の訳によるお経であるという意味です。
三蔵いうと、孫悟空に登場する三蔵法師かと思いきや、三蔵と名前のつくお坊さんはたくさんおられるようです。「不空」というのは、その三蔵のうちの一人です。ただ、この般若理趣経の解釈の仕方もいろいろとあるようですが、私は、インターネットで検索できる次のサイトを参考にしました。(感謝)
http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/risukyou.htm
このサイトに行けば、全文の意味が記載されていますので、興味のある方は、ぜひご覧ください。このブログで記載した理趣経は、このサイトからの引用です。
さて、般若理趣経の本文ですが、初段として、次のような件があります。
初段 (大楽の法門) 金剛サッタの巻
その最初の教えは「一切の存在(法)は清浄である」という教えである。このことについて、大日如来は十七の清浄なる菩薩の境地をあげて次のように説かれた。
1.男女交合の妙なる恍惚は、清浄なる菩薩の境地である。
2.欲望が矢の飛ぶように速く激しく働くのも、清浄なる菩薩の境地である。
3.男女の触れ合いも、清浄なる菩薩の境地である。
4.異性を愛し、かたく抱き合うのも、清浄なる菩薩の境地である。
5.男女が抱き合って満足し、すべてに自由、すべての主、天にも登るような心持ちになるのも、
清浄なる菩薩の境地である。
6.欲心を持って異性を見ることも、清浄なる菩薩の境地である。
7.男女交合して、悦なる快感を味わうことも、清浄なる菩薩の境地である。
8.男女の愛も、清浄なる菩薩の境地である。
9.自慢の心も、清浄なる菩薩の境地である。
10.ものを飾って喜ぶのも、清浄なる菩薩の境地である。
11.思うにまかせて、心が喜ぶことも、清浄なる菩薩の境地である。
12.満ち足りて、心が輝くことも、清浄なる菩薩の境地である。
13.身体の楽も、清浄なる菩薩の境地である。
14.目の当たりにする色も、清浄なる菩薩の境地である。
15.耳にするもの音も、清浄なる菩薩の境地である。
16.この世の香りも、清浄なる菩薩の境地である。
17.口にする味も、清浄なる菩薩の境地である。
なにゆえに、これらの欲望のすべてが清浄なる菩薩の境地となるのであろうか。これらの欲望をはじめ、世のすべてのものは、その本性は清浄なものだからである。
ゆえに、もし真実を見る智慧の眼である般若を開いて、これら一切をあるがままに眺めるならば、あなたたちは真実の智慧の境地に到達し、すべてみな清浄でないものがないという境地になるであろう。
この経文では、セックスに対する欲望は清浄なもの、清いものだと言っています。後半では、般若心経でも書かれている「眼耳鼻舌身意」という感覚器官で感じ取る「色声香味触法」もすべて清いものだとも言っています。
このように、般若理趣経によれば、人間が欲する欲望はすべて清いものだということです。だから、人間の欲望である限り、清いものであり、すべての願いは叶えられ、欲に絡むからとして除かれるなどということはないのです。